離婚協議はこんなに大変!

当時アメリカに住んでいた自分が恋愛で結婚し先ずはアメリカに入国させ現地の語学学校へ入学させ時間をおいてラスベガスで入籍しました。
彼女にとっては初めてのアメリカと言うこともあり、観光がてら出かける先は全てが恋愛真っ最中。
お互い婚姻関係と言うよりも恋愛真っ最中のカップルという言葉がしっくりくる状況でした。
それは生活感が当たり前に思える様な例えばスーパーでの買い物やたまに見に行く日本食材の店、それら全てが彼女にとっては新鮮でした。
その後、彼女が妊娠しちょうどその時に今度はタイへ行くことに成りました。
妊娠中は自分は東京、彼女は実家のある岡山でした。
その後タイへの赴任日がきて自分だけ先にバンコクへと向かいました。
その後数週間で子供が生まれ更に3ヶ月後に迎えに帰国。
久し振りに見る彼女と初めて抱く我が子に感動を今でも覚えています。
そしてバンコクでの生活がスタート。
しかし自分はある事に気がつきました。
お互いにとって子供は何よりも優先順位で生活をおくってましたが、彼女にとって新世界であるバンコクは子育てとの両立は負担が大きいはずと思い、自分自身も夜泣きの世話やミルク等、積極的に子育てに参加し負担を減らそうとバンコクならではのメイドまで雇ってました。
しかし彼女は何時までも一番大変だった出産時に居なかった事で自分を責めます。
そして子供が小学校4年生ぐらいから彼女とは恋愛では無く同居の感覚がよぎってきました。
その兆候としてアメリカでは何でも一緒にやっていたのが彼女の友人やその飲み会の話を一切しなくなりその後、子供の運動会に一緒に居なくなり遂には計画した旅行に来なくも成りました。
自分の頭の中には離婚なんて言葉は当時存在せず、お互い我慢もしているのだからと割り切って過ごしてきましたが自分が転職を行い、寝室を良く寝られないからと別にし1年が経った時の事。
彼女から離婚を言い出してきました。
その時は大喧嘩で絶対に別れないと言い放ち更に日本のサイトで自分の問題点も含め改善を専門家に相談もしました。
それを実践してましたが、更に1年後リーマンショックの影響で会社を諦め子供の中学に進学する時期で帰国を決意しました。
彼女と協議した結果、子供は自分が実家の方で育て自分は一人で実家に戻るという事に成りました。
その際、落ち着いてから離婚届を彼女が送る事に成ってました。
帰国後とにかく再就職を優先し本業では無いが再就職した後、裁判所に復縁協議の申し立てを行い数回彼女のいる裁判所へ出向きましたが全く取り合って貰えずその後彼女を子供に会わせる為、呼んだり子供を行かせたりしその後3年後、本業への復帰で単身大阪へ行くことに成りました。
子供の既に高2で実家の祖母といるので心配はしてましたが将来の事を決意し1ヶ月に1度は帰る生活を送ってましたがある不祥事に伴い離婚届けを自分から送りつけました。

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